リードの歩み
リードについて
今では当たり前になった
タクシーシートカバー
始まりはリードでした
タクシーにそんなものは必要ない!!
この前、いらないって言っただろう!
―断られても足しげく通い続けて得た信頼―
会長の石田晶二は、タクシーのシートカバーをリースするビジネスモデルを思いつきました。シートカバーを自社で製造し、集配、クリーニングまで行うサービスです。
1968年、春日井市にクリーニング店を開業した晶二は、時代の流れの中でクリーニング店からセーターの仕立て、メリアス反物仕上げ加工業などさまざまな事業を行っていました。当時の事業は順調でしたが、晶二はすでに「自分たちの業界はあと10年もたない」と悟っていました。「今の事業に代わるものはないか?」常に人の話に注意深くアンテナを立て、次なる事業を模索していたのです。
そんな時、自社の倉庫の向かいに住んでいたタクシー会社の社長から声をかけられます。社長は、倉庫に立てかけてあった反物を見て言いました。
「石田さん、あの反物でシートカバーを作れないか?」
「わたしが作りましょう!」これがシートカバーの始まりです。
当時、タクシーの座席本体はビニールレザーが主流で「シートカバーをつける」という概念はあまり浸透していませんでした。タクシー会社の社長は、VIP用の車両のためにシートカバーの製作を依頼したのです。
晶二はこれをビジネスにできないかと模索します。そこからカバーを持って全国各地を営業してまわる日々がスタートしました。白いカバーをPRするため、リードのロゴを配した刺しゅうを施した白スーツを着用し、朝10件、昼10件と毎日タクシー会社をまわります。もちろん、メリアス反物の加工業を行いながらです。
「タクシーにそんなものは必要ない!!」
「この前も断っただろう!」
さまざまなタクシー会社をまわるも、最初の半年間は全く相手にされませんでした。お茶だけ出されて帰ったこともしばしば。それでも、どんなにこっぴどく追い返された会社にも足しげく通いました。
日本中のタクシーを白く染め上げる
―断られ続けても諦めなかった思い―
自分でハイエースを運転し、富山まで集配し、それを機に運送便を思いつきます。東京や青森の果てまで営業した日々。行くだけで赤字になる現実。また時代はバブルの頃。「なんのためにやっているんだ?」と、ふと我に返ったこともあったといいます。
しかし、「日本中のタクシーを白く染め上げる」という信念を胸に、地道に営業活動を続けました。
当初は、数人の乗務員さんが個人でシートカバーを借りてくれる程度でした。しかし地道に通い続けている中で、名古屋のあるタクシー会社がまとめて導入してくれたのです。
名古屋のタクシーが
“おかしなこと”になっている!
―あっという間に全国区となったタクシーシートカバー―
白いカバーをつけたタクシーは目立ちます。名古屋市内で導入されたタクシーシートカバーは、あれよあれよという間に噂になりました。「あそこのタクシー会社、何かやり始めたぞ!」と、他のタクシー会社にすぐに伝わったのです。
そして県外から来たタクシー会社が、名古屋のタクシーの変化に気づきます。
白く美しいシートカバーがついた車内。
「名古屋のタクシーが“おかしなこと”になっている!」
また京都でリードのシートカバーをつけたタクシー車両を御覧になった北海道のタクシー会社の社長様。後日、偶然にもその会社に晶二は飛び込みで訪問します。丁度、居合わせたその社長様が
「あれは君の会社の製品か?」とお尋ねになりました。
「はい そうです!」
「じゃ、やって」
と即決。北海道の足掛かりとなりました。
こうしてシートカバーの評判はあっという間に全国に広まりました。今やリードのシートカバーは全国シェア6割、日本No’1を誇っています。